はじめまして。
このブログの管理人、スマイルクリエイターのRYUです。
わたしは38年の会社員生活を経たのち引退、今は地域で臨時のお仕事をするかたわら情報発信を始めました。
少しでも多くの人を笑顔にしたい、自分の世界を広げ、あたたかな人間関係を築いていただきたい、そういう思いでこのブログを開設しました。
あたたかいコーヒーを飲むとホッとひといきついて安心感につつまれるような、そんな記事をつづってゆきたいと思っています。
そんなわたしの人生を振り返って世界を広げてきた経験とか人間関係で苦労したことなどをちょっと紹介させてください。
子供時代
わたしは、日本がこれから高度経済成長期に入っていこうとしていた時代
第1回目の東京オリンピックのちょっと前に生まれました。
昭和世代の両親は正直でわたしや妹が間違ったことをするときちんと叱るような人でした。
ダメなことはダメということを子供にきちんと教える反面、心優しく子供達への愛情にあふれていました。
そういう両親の作るあたたかな世界で育ったわたしは、小さい頃は外の世界に出て両親以外の人との関係を作るのが
苦手でした。
幼稚園に入った時、
慣れるまではすぐに家に帰りたいと
泣き叫んでは幼稚園を飛び出し
いつも先生を困らせていました。
しばらくそんな時期が続きました。
桜の季節に入園し
紫陽花の葉にとまったカタツムリが
雨を楽しむ梅雨のころ
だんだん幼稚園の生活にも慣れてきました。
友達もたくさんできよく外で
遊ぶようになりました。
これがわたしの人生で最初の世界を
広げた経験になりました。
大学時代
話は少し飛びます。
一年浪人したわたしは大学生になりました。
それまではずっと千葉県で育ってきたのですが
大学で東京に通うようになり、また、ここで一気に世界が広がりました。
物理的に東京という大都会に通うようになったこともそうですが一番大きかったのは、全国から集まってきた人たちとお友達としてつきあうようになったこと、これが一番インパクトがあったと思います。
違う土地、違う環境、違う人間関係の中で育ってきた人たちは、やはりものの見方が違うし価値観も異なる。
そんな中でたくさん刺激を受けてきました。
大学時代テニスサークルに入ったのですが
ちょっと花やかな世界を知りました。
多くの友人や先輩は
わたしと異なりこれまで
大学に入る前からテニスやスキーを楽しみ
恋愛を謳歌し、海外旅行を楽しみと
たくさんの経験を持っている人が
多かったのです。
そういう人たちに毎日接することで
考え方とか、毎日の楽しみ方とか・・・
ほんとに多くのことでよい影響を受けてきました。
テニスサークルの同期の友人たちとは
今でもつきあってます。
もうかれこれ40年以上
利害関係のないあたたかな
交流を続けています。
厳しさをたたきこまれた会社員時代
日本がバブルに突入していく前夜、1980年代の初め
一部上場企業の総合電機メーカーに入社しました。
新人時代は
厳しいものでした。
夜12時過ぎまで働くのは当たり前、
おまけに土日 二日間とも休日出勤
なんていう日々がざらにありました。
ぼろぞうきんのように
働かされる毎日、
くたくたに疲れて
寮に寝に帰るだけの生活
おまけにまわりには厳しい人たちがたくさん・・・
入社後2年間の工場勤務だったころのできごとです。
製品を生産手配する部門で仕事していました。
あるとき手配伝票を修正するのを
後回しにしていたわたしは
現場の主任さんに呼び出され
その人のデスクまでいくと
すぐさま鼓膜が破れるほどの
大きな声で「バ○やろー!!」と
一喝されたのです。
人前でこんなふうに大声でどなられるのは
初めてのことでした。
まわりにいた人たちはみんな固まって
シーンとなってました。
わたしも一瞬でモアイ像の石像のように
固まってしまって一歩も動けなかったですね。
この大量の伝票、おまえのせいで
全部書き換えなきゃならなくなったと、
ということで
指さされた先を見ると、、、
机の上に2メートルぐらいはあろうか
という書類の山。
まっさおになって半日ぐらいかけて
一つ一つ書類を直しました。
パソコンなんて無い時代だから
全部手書き修正ですよ(泣
まー、でも今考えるとこの経験が
後々大切なことは絶対後回しにしない
という行動につながっていったのだと
思います。
工場で2年、丁稚奉公的に鍛えられたわたしは
営業に異動しました。
なんか、日経新聞の「わたしの履歴書」みたいになってますね(笑
もう少しだけおつきあいください。
営業現場での学び
その後会社を引退するまで、36年営業の現場でお世話になりました。
営業はいろんな人がいました。
もちろんよい人、よい同僚もたくさんいたのですが、反面教師もてんこ盛りでした。
- 自分の出世のためにゴマをすりまくる人
- 出世したら手のひら返して今までしっぽがちぎれんばかりに振りまくってた相手に急に冷淡になる人
- 部下に自分の後始末押し付け自分はさっさと飲みに行ってしまう人
- 旅費や交際費をごまかして自分のポッケに入れる人
- 昼間、それも就業時間中人妻の部下とホテルに行くなどという大胆な課長
- 会社ロビーの公衆電話で中国語で中国の愛人に「愛してるよ」と電話してる人→わたしは仕事で中国に駐在してたので中国語がわかるんですよ。近くにいたわたしは大笑いしたいのを涙目になって必死にこらえてましたね(笑
- 恫喝して同僚や上長までを自分の利益のために操り裏で業者からキックバックを受けるチンピラのような人
今思うと人間関係の学びになったと思いますが、こういう人たちと仕事で関わりを持つのは相当憂鬱でした。
チンピラみたいな人には散々いじめられましたね。毎日のように会議でどなられ、目の前で書類叩きつけられたり、その人に操られた現地法人の社長に会議の席上でどなられまくられ、一つもわるいことしてないのになんでこんな目に遭わなきゃいけないのって。もう胃がきりきり痛んで出社拒否したいのを必死にこらえましたが、さすがに限界を越え、上司に担当変えてくれって直訴までしました。(変えてくれませんでしたが・・・)
まー両親にまっすぐに育てられたおかげで人間不信にはなりませんでしたけどね。
この会社員時代にブラックな人々と接してきた経験があたたかみのある人間関係への深い渇望を生んだのかもしれません。
あたたかなビジネスコミュニティーとの出会い
会社の定年が見えてきた頃、
あるビジネスコミュニティーに出会いました。
ネクストディメンションという講座です。
超一流のコンサルタントである小田真嘉さんと、
大学時代に一人で年商2億円のネットビジネスを立ち上げた新田祐士さん
このお2人が開いている講座です。
小田さんと新田さんについてはブログ記事の方で紹介していきたいなと考えています。
ネクストディメンションに参加して
わたしの人生は大きく変わりました。
一番はあたたかな仲間がたくさんできたことです。
最初に講座に参加するとき
とてもドキドキしました。
もうすぐ還暦を迎えようとしていた時だったので
こんな年齢の高い人受け入れてもらえるだろうか?
というふうに思いました。
一緒に学ぶ若い世代の人たちにも相手にしてもらえないんじゃないか?
そんなことを心配してました。
でもそれは杞憂に終わりました。
講師や運営サポートの方々も
参加者の方たちも
みなあたたかな雰囲気を持っていて
そして何より人の年齢とか性別とか
実績とかなどで区別しない
人の本質を見て接してくれる人たちばかりだったのです。
会社で闇の世界の人たちをたくさん見てきたわたしは
あ〜、なんて純粋であたたかい人たちばかり
なんだろうと感動しました。
一緒にいるだけで
胸が暖かくなって
安心できる。
すごく懐かしい感じがして
ずっとその人たちと一緒にいたくなる、
そんな気持ちにさせてくれる
コミュニティだったのです。
今もそういうあたたかな仲間と一緒に学び続けています。
最後までお読みいただいてありがとうございました。